鶴ヶ城は誰が建てた?歴代城主と天守閣料金~歴史を徹底解説

鶴ヶ城って誰が建てたんだろうと疑問に思って検索された方も多いのではないでしょうか。福島県にある美しいお城ですが、実は誰か一人がポンと建てたわけではなく、長い歴史の中で何人もの武将が関わっているんですよね。
会津若松市にあるこのお城の築城主や歴史的な背景、そして現在の天守閣料金など、見学に行く前に知っておきたい情報をまとめてみました。この記事を読めば、お城の歴史的な変遷がすんなりと理解できるかなと思います。
これから観光に行く方も、歴史に興味がある方も、ぜひ参考にしてみてくださいね。
- 鶴ヶ城の基礎を築いた歴代の武将たちの名前と功績
- 黒川城から鶴ヶ城そして若松城へと変わる歴史
- 天守閣や石垣など城内を見学する際の見どころ
- 現在の観覧料金やお得に巡るための割引や共通券の情報
![鶴ヶ城の図解を中心に、葦名氏、蒲生氏郷、加藤明成、保科正之へと続く名将たちのバトンリレーによって生まれた「歴史の地層」を4つのレイヤーで示した図解スライド。]()
鶴ヶ城は誰が建てたのか歴史を紐解く

鶴ヶ城が今の姿になるまでには、とても長いドラマがあります。いったい誰が建てたのか、時代ごとにどんな武将が関わってきたのか、その歴史の変遷を順番に追ってみましょう。
葦名直盛による東黒川館の造営
鶴ヶ城の歴史の始まりは、なんと室町時代まで遡ります。1384年(至徳元年)に、葦名直盛という人物が「東黒川館」を築いたのが最初だと言われているんですね。
当時は今のような立派な天守閣や石垣があったわけではなく、あくまで中世の武将の居館といった感じだったようです。でも、この場所が選ばれたのは、水が豊富で軍事的にも重要な拠点だったからこそ。葦名氏はおよそ200年にわたってここを拠点にして、この場所は次第に「黒川城」と呼ばれるようになりました。ここから鶴ヶ城の長い歴史がスタートするわけですね。
蒲生氏郷が鶴ヶ城と命名した理由
黒川城を、近代的なお城へと大改造したのが、豊臣秀吉の命でやってきた蒲生氏郷です。1593年(文禄2年)ごろには、七層とも五層地下二階ともいわれる立派な天守を築いたと伝わっています。今の五層とは違う、壮大なお城だったそうです。
鶴ヶ城という名前の由来
蒲生氏郷は、故郷である近江の「若松の森」にちなんで地名を「若松」に変えたと伝えられています。そして、お城の名前である「鶴ヶ城」の由来についても、自身の幼名「鶴千代」や蒲生家の家紋「立鶴」などにちなむという説があり、諸説あるようです。
現代に続く「鶴ヶ城は誰が建てたのか」という問いに対しては、この蒲生氏郷が一番の立役者と言えるかもしれませんね。
加藤明成による大改修と五層天守

蒲生氏郷が築いた天守ですが、1611年の大地震で大きな被害を受けたとされています。そこで立ち上がったのが、後に入ってきた加藤明成です。
1639年(寛永16年)に、地震に強い「層塔型五層五階」の天守へと大改修を行いました。これが、現在私たちが目にしている天守閣のベースになっています。さらに防御力を高めるために「北出丸」や「西出丸」なども増築し、まさに難攻不落のお城へと進化させました。
加藤明成の功績
今の五層の天守閣の形を作ったのは加藤氏の時代です。地震の教訓を活かして、より頑丈で実戦的なお城へと生まれ変わらせました。
伊達政宗や保科正之が治めた時代
鶴ヶ城の歴史には、他にも有名な武将たちが登場します。例えば、葦名氏を滅ぼして一時的に黒川城を支配したのは、あの独眼竜・伊達政宗でした。たった1年ほどでしたが、歴史のロマンを感じますよね。
そして、江戸時代に入ってからは徳川家光の異母弟である保科正之が入城し、幕末まで続く会津松平家の統治が始まりました。この時代に、雪国の厳しい冬でも瓦が割れにくいように、鉄分を含んだ赤い釉薬を使った「赤瓦」が導入されたとされています。現在、天守閣に赤瓦が使われているのは鶴ヶ城の大きな特徴のひとつなんですよ。
若松城と呼ばれる歴史的変遷
ここまで見てきたように、お城の名前は「東黒川館」から「黒川城」、そして「鶴ヶ城」へと変わってきました。現在では、正式には「若松城」とされ、「鶴ヶ城」は広く親しまれている呼び名として使われています。

日本のあちこちには、他にも「鶴ヶ城」と呼ばれるお城の跡(岐阜県や佐賀県など)があるので、区別するために地名を添えて会津若松の鶴ヶ城と呼ばれることもあります。歴史の変遷とともに名前も姿も変わってきたこのお城は、会津の歴史そのものと言えそうです。
鶴ヶ城を誰が建てたのか知る見学ガイド
歴史的背景を知ったら、実際に現地へ行ってみたくなりますよね。鶴ヶ城を誰が建てたのかを思い浮かべながら見学すると、また違った面白さがあります。ここからは、現地での見どころや料金などの実用的な情報をご紹介します。
蒲生時代の野面積み石垣の魅力

お城の見どころといえば、やっぱり石垣です。天守台の下の方を支えている石垣は、蒲生氏郷の時代に作られた「野面積み(のづらづみ)」という技法が使われています。
自然の石をそのまま積み上げているので、一見するとゴツゴツして粗削りに見えますが、実は石と石の間に隙間があって水はけが良く、とても頑丈なんです。約400年経った今でも当時のまま残っているなんて、昔の職人さんの技術は本当にすごいですね。
加藤時代の高石垣と武者走りの特徴
一方で、加藤明成の時代に増築された部分の石垣は、また違った特徴を持っています。廊下橋の近くにある東日本でもトップクラスの「高石垣」は、石の表面を加工して隙間なく積み上げる技術が使われていて、見上げるほど高くて圧巻です。
また、北出丸にある「武者走り(むしゃばしり)」と呼ばれる階段状の石垣も見逃せません。兵士たちが一斉に石垣の上に駆け上がれるように工夫されていて、実戦を想定した造りになっているのがよくわかります。時代による石垣の造りの違いを見比べるのも楽しいですよ。
現在の鶴ヶ城天守閣料金と割引制度

天守閣の中は2023年にリニューアルされて、デジタル技術を使った大迫力の展示が楽しめるようになっています。気になる観覧料金ですが、とても良心的な設定になっています。
| 区分 | 個人料金 | 団体料金(30名〜) |
|---|---|---|
| 大人(高校生以上) | 410円 | 360円 |
| 小人(小中学生) | 150円 | 135円 |
| 未就学児 | 無料 | 無料 |
※上記はあくまで一般的な目安としての基本料金です。時期によって変動する場合もあるので、正確な情報は必ず公式サイトをご確認くださいね。
これだけの内容が見られてこの価格は、かなりお得感があります。また、提携サービスや周遊券などの提示で割引対象になる場合もあるので、お持ちの方は事前に最新の優待情報を確認してみてください。
車椅子での見学について
天守閣の内部は歴史的建造物の構造上、すべて階段になっていてエレベーターはありません。ですが、公園内にはスロープが整備されているルートもあり、外観や石垣の雰囲気は十分に楽しむことができます。安全に関わる最終的な判断は、ご家族や専門家にご相談くださいね。
周辺施設も巡れるお得な共通券
鶴ヶ城をもっと深く楽しむなら、周辺の施設も一緒に回れる「共通券」がおすすめです。
すぐ隣にある「茶室麟閣(りんかく)」は、千利休の子・少庵ゆかりの場所。お城の展示を見たあとに、静かなお茶室でお抹茶をいただくのは最高の癒やしになりますよ。
おすすめの共通券
- 天守閣・麟閣 共通券:大人520円(別々に買うよりお得!)
- 三施設共通券:大人730円(天守閣・麟閣に加えて「御薬園」も巡れます)
会津をあちこち観光するなら、市内の交通機関や観光施設が割引になる「会津ぐるっとカード」も便利です。お得に賢く、歴史散策を楽しんでみてくださいね。
鶴ヶ城は誰が建てたのか歴史のまとめ

いかがでしたか?今回は、鶴ヶ城は誰が建てたのかという視点から、その歴史と現在の見どころについてまとめてみました。
一人の武将がすべてを作ったわけではなく、葦名氏が基礎を築き、蒲生氏郷が「鶴ヶ城」として大規模に改修し、さらに加藤明成が現在の五層の姿へと進化させてきました。そして、保科正之の時代に象徴的な赤瓦が導入されるなど、何世代にもわたる人々の想いと技術が重なり合って、今の美しいお城が残っているんですね。
料金も手頃で、見どころ満載の鶴ヶ城。歴史のロマンを感じに、ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか。最終的な営業日や料金、イベント情報などは、お出かけ前に必ず公式サイトで確認することをお忘れなく!
※本記事は執筆時点の情報をもとに作成しています。最新の料金・営業情報・史実解釈の詳細は公式案内等をご確認ください。

